熊本からハワイに旅行にきている友人が、お土産として迎町の『小堀せんべい』を買ってきてくれた。迎町で生まれ育った私にとって、思い出がたくさん詰まった特別なせんべいだ。
迎町について
熊本市を東西に流れる一級河川・白川は、熊本城の外堀の役目をはたしていた。そのため江戸時代には橋が少なく、安政四年(1857年)に安巳橋(あんせいばし)が架かるまでは、現在国道3号線が通る長六橋(ちょうろくばし)が唯一の橋だった。
熊本城下からその長六橋を渡った川向かいに、私が生まれ育った「迎町(むかえまち)」がある。橋の城側にある通町(とおりちょう)の職人を移住させて開かれた3町(宝町、新大工町、紺屋新今町)を合わせて迎町と呼ばれる。江戸時代の城下町の範囲は白川の北側(右岸)だが、例外的に迎町は白川左岸ながら城下町に含まれていた。
3町の名前は、現在は地図上から消えているが、宝町のみは「迎宝町(むかえたからまち)」というバス停の名前として残っている。
迎町で知らない人はいない老舗
そんな迎町に、明治41年創業の老舗せんべい店『小堀せんべい』があったのだが、店主が最近亡くなられて、廃業したという。息子さんがいらっしゃるが、跡は継がなかったようだ。
迎町で知らない人はいない店で、店主が手焼きで作る『ピーナッツせんべい』は、子供の頃からいつも実家や祖母宅にあり、あたりまえのようにいつも食べていた。ピーナッツと小麦粉と生卵と砂糖を使った素朴な味のせんべいは、まさに “やめられないとまらない” おいしさで、子供の頃の私は牛乳と一緒に食べるのが鉄板だった。
特に母方の祖母は小堀せんべいが大好きで、祖母に連れられて何度も買いに行ったし、大人になってからは祖母のお使いで買いに行くことも多かった。
かわりゆく迎町
迎町は、かつて商家や職工が多く、熊本城下から各方面へのびる諸街道の分岐点でもあったため、人通りが多い賑やかな町だったという。
私が子供だった昭和50年代の記憶では、履物店、呉服店、小さな印刷工場、パチンコ店、定食屋、郵便局、質屋、酒屋、生花店、文房具店、八百屋、薬局、うどん屋などが軒を連ねていたが、これらの店は今はもうほとんどない。そして小堀せんべいまでもがなくなってしまった。
小堀せんべいの廃業を知った友人が、私が小堀せんべいが大好きだったことを覚えていてくれて、わざわざハワイまで持ってきてくれたのだ。最後のピーナッツせんべいを、惜しみながらゆっくりと一枚ずつ食べた。