100年以上の歴史を持つハワイの“sake”
日本人移民が多く暮らしたハワイには、かつてたくさんの酒蔵があった。1908年(明治41年)に住田多次郎氏によって創設されたホノルル日本酒醸造会社(のちのホノルル酒造製氷株式会社)をはじめ、ハワイの各地に酒蔵が作られ、サトウキビ畑の重労働で疲れた移民たちの体と心を大いに癒してきた。
しかし、そんなハワイの酒蔵も、第二次世界大戦後までにはほとんどなくなってしまった。戦後唯一操業を続けていた『ホノルル酒造製氷株式会社』も1986年に米国宝酒造に買収され、数年後には廃蔵となった。
それから30年の月日が流れた令和元年、ハワイに新しい酒蔵『アイランダー酒造(Islander Sake Brewery)』が誕生した。立ち上げたのは医学博士の高橋千秋さんと、パートナーのTama Hiroseさん。ハワイで日本酒を愛する私としてはたまらなく嬉しいニュースだった。
醸造研究家・高橋千秋さん
『アイランダー酒造』の蔵元であり杜氏でもある醸造研究家・高橋千秋博士に初めてお会いしたのは2017年だった。高橋さんは、私が長年ウェブサイトや賞状などをデザインさせていただいている全米日本酒歓評会の審査員として、ハワイにいらしていた。
その後、歓評会関連の行事や、歓評会出品酒の一般公開イベントであるジョイ・オブ・サケなどを通じて何度もお会いし、プライベートな場でも一緒に酒を飲む機会に恵まれた。
そうしたなかで、高橋さんが日本の独立行政法人 酒類総合研究所で4年間研究員を務められたこと、日本のワイナリーのコンサルタントをされていたこと、過去なんと100回以上もの渡航歴をお持ちの30年来のハワイ通であること、そして、ハワイで30年ぶりに酒蔵を復活させるべく構想を練られていることなど、興味が尽きないお話をたくさん聞かせていただいた。
私の周りには日本酒の魅力に取り憑かれた人がたくさんいるが、酒のために世界中を飛び回っておられる高橋さんは、それらの人々とは全く別の次元にいらっしゃるようだ。彼女の醸造や発酵や微生物についての深い知識と豊富な経験、無尽蔵のエネルギー、そして酒への熱い想いには、いつも感服されられる。
つい先日ハワイで一緒に酒を飲んだと思っていたのに、フェイスブックのタイムラインに現れる彼女はもう日本の大学や高校でワイン醸造の講義をされていたりする。あるときには日本酒イベントでブースを出していらっしゃったり、あるときには岡山のワイナリーでワインの出来栄えをチェックしていらっしゃったり、あるときにはスペインの酒蔵や京都の松尾大社にいらっしゃったり、そしてまたあるときには、私が勤める会社のオフィスに——つまり私の目の前に——いらっしゃったりする。
高橋さんは何人もいらっしゃるのではないかと本気で思ってしまうくらい、八面六臂の活躍を続けられている。
ついに酒蔵がオープン
そんな高橋さんの念願であるハワイの酒蔵『アイランダー酒造』が、構想から3年経った2020年、ついに酒造りをスタートさせることになった。
2019年にアメリカで就労できるビザを取得されるまでは、年に何度も観光ビザでハワイに渡航し、その都度滞在期間1ヶ月という限られた時間のなかで物件を探したり機材を揃えたりと、大変な苦労をされていた。
事務処理、工事、輸送など、あらゆることがルーズでなかなか予定通りに進んでくれないハワイ。時間とお金がどんどんなくなっていくなかで何度もくじけそうになったというお話をたくさん聞いた。
日本人がハワイでビジネスを一から立ち上げるのはかなり難しいことらしく、酒蔵を作る計画を発表しても、ハワイの多くの人から「そんなことは無理だ」と呆れ顔で言われたという。それでも高橋さんとTamaさんはあきらめず、次々と立ちはだかる壁をひとつずつ乗り越えて、ついに酒蔵をオープンさせた。本当にすごいことだし、苦労話を聞いてきただけに心から嬉しい。
酒蔵見学
2020年2月半ばに、まだ工事途中の酒蔵を見学させていただいた。場所はカカアコのクイーン・ストリート。洒落たカフェやビアパブ、ショップなどが次々と誕生している、ホノルルの最注目エリアだ。
蔵は醸造室、麹室、直営のバーからなり、屋外で酒を飲めるスペースもある。高橋さんから「狭すぎる」とか「シャック(掘っ建て小屋)だ」とか聞いていたのでかなり小さなスペースを想像していたが、思っていたよりずっと広い。
醸造室にはタンクや機械類がずらりと並んでいる。発酵タンクもプレス機も洗米機も、可能な限り最上のものを手に入れてあり、ハワイの小さな蔵ながらも日本の酒蔵とできるだけ同じ水準で妥協のない酒造りを目指しておられるという。
1トンの発酵タンクはイタリア製で、特注で取り寄せたもの。日本の一般的な酒蔵で使用されているタンクの10分の1の大きさだが、2~3人という少人数で酒造りをするのに使用できる米は300キロが限界で、それには1トンのタンクがちょうどいいそうだ。
薮田機械製のろ過圧搾機は、カタログには載っていない最小サイズのもので、こちらも特別に作ってもらったものだという。これで1回300リットルを丸一日かけて搾ることができるそうだ。
大きな貯水用タンクもある。ハワイの水は軟水のはずだが、高橋さんが実際に水の硬度を測ってみると硬水の数値が出たそうだ。ホノルル市の金属製の水道管が古いためどうしても水に鉄分が含まれているかららしい。そのままの水では酒造りには好ましくないので逆浸透膜を使用して浄水され、鉄分が取り除かれたきれいな水がタンクに貯められる。
酒米と酵母は日本から輸入したものを使用し、麹は自社の麹室で造られる。麹造りには自然のままのハワイの気温でちょうどいいそうだ。酒造りの要である酒母は、冷蔵庫にタンクを丸ごと入れてそのなかで育てる予定とのこと。
高橋さんは花から酵母を採取するお仕事をされていたこともある酵母の専門家でもあるので、いずれはハワイのハイビスカスやブーゲンビリアなどの花から取った野生酵母を使ってみたいともおっしゃっていた。これまたどんな酒になるのか、今から楽しみだ。
気になる醸造室の温度は、醸造時のみエアコンで摂氏10度まで下げるそうだ。醸造時以外でも10度程度まで温度を下げることが一般的には推奨されているそうだが、それをハワイで実現するにはエコロジーの観点から望ましくないので、通常時は特注の大きな冷却ジャケットをタンクの周りにつけることで温度を調節するとのお話だった。
酒が飲める直営のバーも併設
『アイランダー酒造』は、2018年にできたハワイの新しいリカーライセンス「Class 18 small craft producer pub license」を取得している。これによってハワイの自社蔵で製造した酒のみならず、日本から輸入した酒をも併設されたバーで提供することができる。
バーになる予定の部屋には、モンキーポッドの木で作られた長さ約5メートルの見事なカウンターが設置されていた。ここでメイドインハワイの清酒を飲む日が来るのが今から待ち遠しい。
バーカウンターで高橋さん手作りの甘酒をいただいた。火入れをしていない生の甘酒はフルーティーでとても飲みやすく、甘いのが苦手な私だが何杯もおかわりした。ハワイ産のパイナップルとリリコイが入った甘酒もあり、こちらは昨年11月のジョイ・オブ・サケ東京でも振舞われ、大変な人気だった。
“Sake”文化の発信基地に
私が蔵を見学した翌日には、ホノルル市酒類監督委員会の検査官による蔵の工事完成検査が行われ、無事に合格し、醸造免許証が交付された。これでいよいよ酒造りが可能となった。ラベルのデザインなどもすでにできていて、今春には記念すべき最初の純米吟醸酒が完成する予定だ。
「ハワイでお酒を造ることによってハワイの人たちにもっと“sake”に興味を持ってもらいたい」と語る高橋さん。酒類総合研究所でも教鞭をとられていたが、人にものを教えることが好きな高橋さんは、例えばハワイの子供達に甘酒の作り方を教えるワークショップの開催なども考えておられる。
ハワイの酒蔵としては33年ぶりの復活となるカカアコの小さな酒蔵『アイランダー酒造』が、新しい“sake”文化の発信基地になる日もきっとそう遠くない。
アイランダー酒造 ウェブサイト:islandersake.com