フラ

ハワイの風を感じるスマホケース(花、野鳥、フラガール、サーフィン、その他)

イイヴィの手帳型ケースとダイヤモンドヘッド三十六景のiPhoneケース
オリジナルスマホケースが日本で発売 ハワイの花、野鳥の写真や絵、フラガールやサーファーガールのイラストなどの私の作品が印刷されたオリジナルスマホケースが、2019年11月より日本向けにオンライン販売されています。SIMMA Hawaiiさん(https://tokimeki-d.com)とのコラボレーション商品です。 ガラス製iPhoneケース ガラス製iPhoneケース ガラス製iPhoneケースの背面には、傷がつきにくい強化ガラスが使用されていてアート作品の劣化を防ぎます。側面はTPU樹脂で保護されています。柔らかい素材なので持ちやすく、ケースの付け外しも簡単です。側面は黒色と白色から選べます。2020年9月現在、iPhone7〜11までの各機種に対応しています。¥3,630(税込)。 写真の野鳥は、中央がマヌオクー(シロアジサシ)、右がネーネー(ハワイガン)です。 手帳型スマホケース 手帳型スマホケース PU(ポリウレタン樹脂性)レザーの手帳型スマホケースです。内側の粘着パッドにスマホ本体を貼り付けるタイプです。MサイズとLサイズの2種類があり、MサイズはiPhone6、6s、7、8、X、Xs等に、LサイズはiPhone6plus、7plus、8plus、XsMax、XR等を対象にしています。¥3,960(税込) 写真の野鳥は左からアパパネ(アカハワイミツスイ)、ハワイ・アマキヒ、イイヴィ(ベニハワイミツスイ)です。鳥たちがとまっている木は、すべてオーヒア・レフアです。 ウッド製iPhoneケース 『虹のイルカ』iPhoneケース(左:ウッド製、右:ガラス製) 天然木を使用した高級感のあるiPhoneケースです(写真左)。天然木に直接UV印刷します。私のイラスト作品とは特に相性がよさそうなので、これから積極的にこのウッド製ケース用にハワイの花や鳥の写真や絵、フラガールやサーファーガールなどの絵を用いて商品化を進めていく予定です。¥3,960(税込) 上の写真は、『Nai‘a o ke Ānuenue(虹のイルカ)』という作品です。10年以上前から温めていたイラストでしたが、この度ようやく世に出ることになりました。 『ダイヤモンドヘッド三十六景』シリーズ 『ダイヤモンドヘッド三十六景』シリーズのガラス製iPhoneケース 『ダイヤモンドヘッド三十六景』シリーズは、現在完成しているNo.4まですべて商品化されています。こちらはガラス製iPhoneケースのみとなります。 写真は、上から時計回りに『ダイヤモンドヘッド三十六景』No.3 デューク・カハナモク・ラグーン、No.4 マジックアイランド、No.1 ワイキキ・ベイ、No.2 カワイホアです。 リクエスト 商品は随時追加していく予定ですが、例えば「赤いハイビスカスの写真がプリントされたスマホケースが欲しい」みたいなリクエストにお答えすることが可能な場合もございます。リクエストにお応えできそうな写真や絵がすでにある場合で、写真や絵をお気に召していただければすぐに商品化するよう対処いたします。リクエストがございましたら、コンタクトフォームよりお気軽にご連絡ください。当ウェブサイトの運営会社であるStudio Elepaioの担当者よりお返事いたします。 多くのアーティストが参加 私の他にも、ヒロ クメさん、ヒロックショウさん、プカラニさん、マエダ メグさん、宮園苺さん、MĀLAMA Art&Designさん、小野澤篤人(AMAZONICA)さん、タツ ロドリゲスさん、Ryujinさん、谷口周郎さん、YUKI Komatsuさんといった個性豊かな多くのアーティストの皆さんの素敵な作品が販売されています。いろいろな作品を見ているだけでも楽しいので、特にハワイアンなアートや写真が好きな方はぜひ Simma Hawaii のオンラインストア(https://tokimeki-d.com)をご覧ください。 ※このページに掲載している商品情報やスペックは2020年9月時点のものです。ご購入の際は Simma Hawaii のオンラインストアにて最新情報をご確認ください。

レイの歴史

イリマとピーカケのレイ
古代のレイ 輪状のアクセサリーを首や頭につけるという行為の起源は、古代まで遡ると言われている。骨、歯、貝殻などで作られた古代人のネックレスが世界各地から発掘されているからだ。装飾のため、職業や階級を表すため、権力を誇示するため、愛する人から贈られたため、穢れを祓うため、運気を上げるためなど、身につける理由は様々だったろう。 「レイ」としてのちにハワイで成熟した文化は、アジア経由でポリネシアの島々を伝わっていったとされている。4~5世紀(年代には諸説あり)に南方のマルキーズ諸島やソシエテ諸島からハワイに最初にやってきて定住したとされるポリネシア人は、チャントや踊りなどの豊かな文化を持っていた。レイも彼らの文化の一つだった。万里の波濤をこえてたどりついた新しい土地ハワイでは、レイ作りに適した植物が生い茂り、花が咲き乱れ、カラフルな美しい鳥たちがたくさん住んでいた。ポリネシア人たちは喜んだに違いない。 古典フラを踊る女性。首には伝統的なマイレのレイ、手足にはククイのレイがつけられている | イラスト:崎津 鮠太郎 昔のハワイでは、レイのうちのいくつかは特定の踊り(フラ)や宗教的な儀式に関連したものだった。植物を使った最も初期のレイは、マイレ(maile)の葉と樹皮で作られたものや、ハラ(hala)の実を繋げてネックレスにしたものなどだった。他にも種子、木の実、木、動物の骨や歯、鳥の羽根、貝殻、人の髪の毛などからレイが作られた。 頭につけるものはレイ・ポオ(lei poʻo)、首につけるものはレイ・アーイー(lei ʻāʻī)、手首や足首につけるものはクーペエ(kūpeʻe)と呼ばれた。腕のいいレイ作りの職人は人々から尊敬されていた。 マッコウクジラの歯のレイ マッコウクジラの歯をフックの形に彫り刻んだものを、人の毛髪を使って堅く編んだ紐につけて首にかけるレイは、レイ・パラオア(lei palaoa)、またはレイ・二ホ・パラオア(lei niho palaoa)と呼ばれた。このもっとも崇高なレイは、位の高いアリイ(aliʻi、貴族)のシンボルであったという。 レイ・二ホ・パラオア | 写真:Pharos / Public Domain 鳥の羽根のレイ イイヴィ(ベニハワイミツスイ)| 写真:崎津 鮠太郎 鳥の羽根から作られるレイは、レイ・フル・マヌ(lei hulu manu)と呼ばれた。アリイたちは、自分の権力を誇示するためにさまざまな色や模様のレイ・フル・マヌを持つことを競い合った。そのため、羽根の価値が上がり、鳥を獲るための職業集団ポエ・カハイ・マヌ(poʻe kahai manu)が活躍した。 レイには、森に住む小型の鳥の羽根が主に使われた。黄色い羽根がもっとも価値があるとされ、赤色がそれに続いた。黒色と緑色はもっとも価値が低かった。マモ(mamo)の濃い黄色い羽根がもっとも価値が高かった。オーオー(ʻōʻō)の明るい黄色の羽根が次に価値が高かった。赤い羽根はイイヴィ(ʻiʻiwi)とアパパネ(ʻapapane)から取られた。マモとオーオーは、残念ながら絶滅してしまった。 貝殻のレイ 貝殻から作られるレイは、レイ・プープー(lei pūpū)と呼ばれた。ニイハウ島とカウアイ島で集められたカヘレラニ(kahelelani)やモミ(momi)という貝の殻で作られたレイは、レイ・プープー・オ・ニイハウ(lei pūpū o Niʻihau)と呼ばれ、特に珍重された。長さ約90cmの輪をひとつ作るのに200個以上の貝殻が使われ、レイにするためにはさらに数個の輪を必要とした。 ククイのレイ ククイの実 | 写真:崎津 鮠太郎 1778年に記録上はヨーロッパ人として最初にハワイにやってきたジェームス・クック(Captain James Cook、1728–1779)は、ハワイ人たちがククイ(kukui)の種子をつなげて作ったレイを身につけていたことを記録している。ククイはトウダイグサ科の高木で、古代ポリネシア人がハワイに持ち込んだ植物のひとつである。1959年より『ハワイ州の木』に指定されている。ハワイ人は、熟して木から落ちたククイの実を集め、種子を磨いて光沢のある美しいレイを作った。ククイのレイは、今日でも人気がある定番のレイである。 レイの衰退と復活 クックのハワイ到達以降は、欧米の近代文明とキリスト教がハワイに広がった。フラを踊ることなどのあらゆる伝統的な風俗や行事が制限された。このことは、当然レイ文化にも大きく影響し、ハワイ文化は衰退した。 文化だけではなく、自然への影響も大きかった。それまでハワイにはいなかった種類の害虫や植物が移入され、レイ作りに欠かせない花や鳥の多くが森から消えてしまった。 しかし、クックのハワイ到達から約100年後、ハワイ文化は大きく復興することになる。1874年、デイヴィッド・カラーカウア(David Kalākaua、1836–1891)がハワイ国王になった。メリーモナーク(Merrie Monarch、陽気な王)とも呼ばれたカラーカウアは、フラを始めとしたハワイ文化を大いに復活させた。王の客人の首には豪華な花のレイがかけられた。カラーカウア統治時代の人々は、男も女も毎日レイをつけて盛装した。 19世紀後半から20世紀の初め頃までは、船でハワイに到着したりハワイを出発する観光客一人一人にレイが贈呈された。ハワイを出発するときには、船がダイヤモンドヘッドの沖を通るあたりで客達がレイを海に投げるのがお決まりの儀式のようなものだったという。もしレイが岸に向かって流れていけば、またいつの日かハワイに戻ってくることができると言われていた。 今日、ハワイのレイ文化は歴史上もっとも栄えているだろう。フラのダンサー達は色とりどりの美しいレイを身につけて、人々を魅了する。フラは、今では日本でも大変人気があり、それに伴い日本でのレイメイキングの人気も高まりつつある。 もともとハワイになかった外来植物の花や葉も次々とレイの素材になっていった。さらには植物だけでなく、その他の新しい素材も積極的に使われ、ビーズ、リボン、布地のほか、紙幣、菓子、ゴルフボールなどからもレイが作られる。 アロハスピリットを形にしたもの 空港で、卒業式で、結婚式で、誕生会で、授賞式で、ルーアウ(lūaʻu、宴会)で、そして葬式で——ハワイで暮らしていると様々な場面でレイが登場し、重要な役割を担う。歓迎、送別、祝福、愛、友情、別れなど、それぞれの場面で「アロハ」の思いを込めて、ときには人にレイを贈り、ときには人からレイが贈られる。レイを人の首ににかけて渡すことは、相手に最大の親しみをこめて挨拶をすることであり、友情や愛情を形にして渡すことである。レイは、アロハスピリットの象徴なのである。 参考文献 Marie A. McDonald『Ka Lei: The Leis of Hawaii』Ku Paʻa Incorporated, Press Pacifica(1978年) Ronn Ronck『The Hawaiian Lei: A Traditional of Aloha』Mutual Publishing(1997年) Laurie Shimizu『Hawaiian Lei Making: Step-by-Step...

第39回プリンスロット・フラフェスティバル

モアナルアガーデンのモンキーポッド
王子を讃えるフラの祭典 夏真っ盛りの7月、私がハワイで毎年楽しみにしているイベントがある。ホノルル市内のモアナルアガーデンで開催される、プリンスロット・フラフェスティバル(Prince Lot Hula Festival)というフラの祭典だ。 まず、フラについて。いわゆるフラダンスのことだが、「フラ(hula)」がそもそも「踊り」という意味のハワイ語なので、フラダンスは「踊り踊り」という重言になる。このブログでは、日本でも「フラ」で一般に定着することを期待して、ハワイでの正しい言い方である「フラ」で統一する。 プリンスロットは、「ロット王子」という意味。ハワイの王朝時代に実在したロット・カプアーイヴァ(Lot Kapuāiwa、1830–1872)のことで、1862年より国王カメハメハ5世になる人物である。一時は禁止されていたフラの復活に尽力した人として知られる。モアナルアは、プリンスロットが気に入っていた場所だったそうで、かの地で夏に過ごすためのコテージも建てた。プリンスロットは、モアナルアでよくパーイナ(pāʻina、夕食会)を開き、客人をフラとメレ(音楽)でもてなしたという。コテージは、その後何度か移築され、現在はモアナルアガーデン内にある。 そんなプリンスロットの功績を讃え、彼にゆかりのあるモアナルアの地で、彼の名を冠したフラの祭典『プリンスロット・フラフェスティバル』が、1978年に始まった。以来、非営利団体モアナルアガーデン財団(Moanalua Gardens Foundation)によって毎年開かれている。 2014年までは、7月の第3土曜日に開催されていたが、2015年から土曜と日曜の2日間行われるようになった。私は、2006年に友人が出場したのを観に行って以来、予定が合うかぎり毎年観に行っている。今年は7月16日と17日に開催され、2日間で20のハーラウ(hālau。フラの一座、学校)が出演した。また今年は、2日目の最初にライアテア・ヘルム(Raiatea Helm)のコンサートもあったが、私は残念ながら今年は2日目には行くことができなかった。 競技会ではない ハワイにはたくさんフラの祭典や大会がある。毎年4月にハワイ島のヒロで開催される『メリーモナーク・フラフェスティバル』は、中でも最大のものだ。それら大きなイベントの多くは、踊りの美しさなどを競う、いわゆる競技会である。 プリンスロット・フラフェスティバルの特徴のひとつは、競技会ではないということ。つまり、踊りを競うのではなくて、ハワイの文化と伝統を披露して、みんなでシェアするという大会なのである。プリンスロット・フラフェスティバルは、競技会の形式をとらないフラの大会としては、ハワイ最大のものである。 そういうこともあってか、出演者も観客も、比較的リラックスした和やかな雰囲気のなかでフラが披露される。観客の前で踊るのは今大会が初めてというダンサーも少なくない。 「彼女たちは、今日がデビューなんです!」 などとクム(先生)が紹介すると、観客からは大きな拍手が起きる。そんな温かい雰囲気のフラフェスティバルだ。 だからといって、内容が生ぬるいわけではない。厳かなカヒコ(kahiko、古典フラ)も優雅なアウアナ(ʻauana、現代フラ)も、みんな真剣そのもの。メレ(音楽)だってほとんどが生バンドによるクオリティの高いライブ演奏だ。衣装もレイも、ため息が出るほど美しい。1日中観ていても飽きない。 『フラガールとイリマ』| イラスト:崎津 鮠太郎 マリア・カウ賞 1日目、ハーラウによるフラが始まる前に、モアナルアガーデン財団によるマリア・カウ賞(Malia Kau Award)の授賞式がある。2014年に始まった賞で、今年が3回目。長年にわたるハワイの伝統文化の保存とフラへの貢献が讃えられ、毎年2人のクム・フラ(kumu hula、フラの先生)が受賞する。グラミー賞でいう特別功労賞生涯業績賞のようなもの。今年は、コリン・アイウ氏(Coline Aiu)とキモ・ケアウラナ氏(Kimo Keaulana)が受賞した。 「この木なんの木」がある場所 会場のモアナルアガーデンは、テレビCMでおなじみの「この木なんの木気になる木」があることでも知られる公園である。日本人には有名なあの巨木は、モンキーポッドという。熱帯アメリカ原産のマメ科の高木で、ハワイには1847年に移入された。CMの映像でもわかるように、モンキーポッドは、大きな傘を広げたように枝が伸びて広い木陰を作る。 巨大なモンキーポッドの木陰で行われるプリンスロット・フラフェスティバル モアナルアガーデンには、「この木なんの木」の他にもモンキーポッドの大樹が何本もあり、プリンスロット・フラフェスティバルは、そのモンキーポッドの木々の木陰で行われる。フラを鑑賞するには絶好のロケーションだ。観客はそれぞれ椅子や敷物を持ってきて、ゆったりとピクニック気分で木陰の涼しい風に吹かれながらフラを楽しむことができる。 パー・フラ(フラのマウンド) 会場の前方中央に、パー・フラ(pā hula)と呼ばれる、フラを踊るための広いマウンドがある。パー・フラは、古代ハワイのモアナルアにたくさんあったという。プリンスロット・フラフェスティバルのパー・フラは、1980年に作られたもので、カマイプウパア(Kama‘ipu‘upa‘a)と名付けれてている。 パー・フラはきれいに芝で覆われていて、その背後は、キー(ティ)の葉が生い茂っている。頭上は天を覆い尽くすモンキーポッドの枝々と葉っぱ。そんな緑一色の景色のなか、色とりどりのダンサーがマウンドにあがり、フラを披露する。まことに絵になる。 最後は会場全員で『ハワイ・アロハ』を合唱 2日目、すべてのハーラウの演技が終わると、最後に観客全員が立ち上がり、みんなで『ハワイ・アロハ』を歌う。隣の人と手をつないで歌う。親子も、恋人たちも、老夫婦も、手をつないでみんな歌う。会場が大きなアロハで包み込まれる。このときはいつも、ハワイで暮らしていてよかったと心から思う。 ——フラを観るのはもちろん楽しみなのだが、私がプリンスロット・フラフェスティバルに毎年足を運ぶ理由は、もしかしたら、モアナルアガーデンという素敵な場所で『ハワイ・アロハ』をみんなで歌うときの、あのなんともいえないピースフルな雰囲気を味わいたいからなのかもしれない。 【追記】2017年以降、プリンスロット・フラフェスティバルはモアナルアガーデンではなくホノルルのイオラニ宮殿で開催されるようになりました。 写真はすべて筆者による撮影